Grampus Diary from TOKYO
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J1 2009 第24節 名古屋×新潟 @スカパー
 内容はともかくようやく4月以来の連勝を飾り残留争いから抜け出して上位争いに喰い込んで行こうかという態勢が整ったと思ったら、毎シーズンの恒例行事となりつつある楢﨑の(長期)負傷離脱によってその前途に暗雲が立ち込めてきた名古屋。日本代表のレギュラーにして、名古屋の絶対的なキャプテン、そのビッグセーブによって何度もチームを救ってきた守護神離脱の影響はあまりにも大きい。ここで彗星のごとくリーグ戦デビューを飾るのが神戸さん(現北マリアナ諸島代表監督)をして「GKとしては10年に1人の素材」と言わしめたユース出身の長谷川だったならばまた違った楽しみもあるのだろうが、残念ながら長谷川はまだそのレベルに達していないようだ。伊藤裕二GKコーチとディドがそう判断したのなら、それに間違いはないのだろう。Uカテゴリーの代表でもずっとライバル関係だった権田がFC東京で正ゴールキーパーのポジションを掴み、中学(名古屋U-15)時代に一つのポジションを争っていた岡大生(駒澤大)がユニバーシアード代表に選出されていることを考えれば、長谷川にも早くそのステージまで上がって来てプレーしている姿を見せて欲しいものだが。

 名古屋は千葉戦から導入した3-5-2を三試合連続で使用。前節決勝ゴールを決めたマギヌンは出場停止となってしまったが、前線には負傷によって前節出場を見合わせたケネディが戻って来た。小川を除けばそれぞれがそれぞれの得意な持ち場で能力を発揮出来るようにと採用されたであろうこの新しいシステムが単なる個の力の積み上げではなく、この一週間でどこまで集団(組織)として成熟しているのかが注目ポイントだ。

 しかし結論から言えば、名古屋がこの試合で見せたパフォーマンスは未だ観る人を満足させるレベルには達しておらず、またこのチームが目指すべき方向性としてピクシーが就任当初から掲げてきた「コレクティブ」「モダンフットボール」「美しいサッカー」といったキーワードからはまだまだかけ離れた代物でしかなかった。まあピクシーの言うところの「美しい」の定義の中にレベルを超えた個人技と個人技のつながりも含まれるのだとしたら、針の穴を通すようなブルザノビッチのスルーパスに対して自慢のスピードで相手DFよりも前に出た玉田が冷静にGKを外して決めた(U-12の杉森君を彷彿とさせるような)ゴールも十分に「美しい」ものではあるが。

 前線の3人(ケネディ、玉田、ブルザノビッチ)の自由な発想による即興コラボとそこにダイナミズムを与えるべく上下動を繰り返す両サイド(三都主と小川)によってのみ攻撃が構成されている名古屋は言ってみれば完全分業制で、そこに「コレクティブ」な要素を求めるのは土台無理な話かもしれないが、ここでボランチの二人がそのリンク役としてもっと積極的にボールに絡むことが出来たら事態はもう少し緩和され、その攻撃もより魅力的で相手を支配出来るようなものになるかもしれない。少なくとも、この試合のように味方がサイドで詰まっている時でもサポートに顔を出さなかったり、ブルザノビッチがボール持った時に後ろからサポートが来たなと思ったら吉田!だったりというような状態よりは遥かにマシだ。
 もちろんボランチの二人からしてみたら前の3人に加え両サイドが攻撃に加わる状況ではリスクヘッジを行いバランスを取ることを第一に考えているのだろうし、ケネディとブルザノビッチと玉田しか絡んでいなかった先制点のシーンを観るまでもなく、前の人間だけで完結してしまう攻撃が一層その傾向を促進してしまっているという側面は確かにある。しかしそんな分業制によってチームが攻守に上手くバランスを保てているかと言えば、決してそうではないことは中盤でひたすらファールを繰り返していたWボランチを見れば明らかだ。そしてここには明らかにチームとしての歪みがある。

 「美しい」という意味では特にこの試合の残り15分もまったくもってそれに相応しくない内容だった。30度を越える過酷なコンディションは差し引いて考える必要があるにせよ、ユースにまで「美しく攻撃的なフットボール」を強要しておいて(クラ選U-18の大会プログラムにもそう記載されている)、トップチームがいとも簡単にそんな理想や理念をかなぐり捨てて勝敗に執着する戦い方をしていたのでは示しがつかない。それにその肝心の勝ち点3にしても、新潟がもう少しまともなチーム状態であれば、この試合はロスタイムで大逆転負けを喰らった大分戦の再現となっていても全く不思議ではなかった。
 これがあくまでも狙い通りの戦い方であると言うのなら、チームは今シーズンの目標をACL制覇に切り替えアジアでは普通に起こり得る理不尽なジャッジに備えて、この機会に「退場者を出して一人少ない状況でいかにして1点のリードを守り切るか」というシミュレーションを行っていたに違いない。

 名古屋が「一人少なくなってしまった」要因は間違いなく運動量の低下。そしてその最たる例がブルザノビッチだった。前半には玉田のゴールをアシストしたりポスト直撃の直接FKを放つなど、徐々にこのチームや日本そのものに馴染んできた印象もあるブルザノビッチだが、後半について言えば一人分の仕事もこなせていない。本来であれば代えられてしかるべき(トップ下の人材がいないのであれば小川をトップ下に回して右サイドに田中を投入すればいい)パフォーマンスしか見せられていないブルザノビッチを最後まで引っ張ったのは、ピクシーによる盲目的な溺愛かそれともピクシーならではのスパルタ教育なのか。
 そんなブルザノビッチは確立されつつあった名古屋のケネディを中心とした攻撃においてもどちらかと言えばそのリズムを壊す存在になりかけている。ファンハール時代のバルセロナにおけるリバウドみたいに、攻撃は必ずそこを経由してクリエイティブな形が生み出される一方で、そこにボールが入った途端にリズムはそこまでボールを運んで来たチームのリズムではなくて全てリバウド(ブルザノビッチ)のリズムになってしまうようなイメージ。

 と、そんな否定的なことを書きつつも、俺はピクシーがなぜこのバルカン半島からやって来たアタッカーに拘るのかはとてもよく理解できるし、そんなブルザノビッチの覚醒なくして名古屋の進撃はないとも思っている。そもそも今玉田が点を獲れていることにしてもケネディだけでなくブルザノビッチがいるからに他ならない。
 確立しつつあったケネディ中心の攻撃をピクシーがここに来て一から作り直しているのは、ヨンセンを中心に据えて攻撃を組み立てていた昨シーズンの痛い記憶があるからだろう。昨シーズンの終盤、他チームによるヨンセンに対するボックス内での徹底マークが施されると名古屋は急速に攻め手と得点力を失っていった。そしてナビスコカップでは準決勝で守備の強い大分の前に苦杯を舐め、リーグ戦もまた勝ち切れない日々が続くことになる。その結果ピクシーは来たるべくシーズンオフに向けてヨンセンとの決別を決断し、相手の徹底マークに遭ったとしても個の力でそれを打ち破ることが出来るダヴィというリアルストライカーを獲得したわけだが、今の名古屋に関してもケネディを中心とした攻撃だけではいつかそんな日が訪れることをピクシーは予見しているのだろう。実際それは先制には成功したものの追加点が遠かった大分戦(ダヴィがいればおそらく勝っていた試合)やケネディが徹底マークに遭ってほとんど仕事が出来なかったこの試合(新潟戦)でも少しづつ露呈し始めている。そんな状況を打開するジョーカーがブルザノビッチに他ならない。

 名古屋がチームとして一体感のあるサッカーを見せられるのはいつの日か。個人と組織がバランス良く調和したサッカーの完成はひょっとしたら今シーズンは無理かもしれないが、可能性はあるチームだけに今はやる方にも見る方にも我慢が必要なのかもしれない。幸いにも鹿島、FC東京と続く連戦までには二週間のインターバルも含めてまだ一ヶ月ある。その間に少しでもチーム力を高めて彼等と互角とまではいかないまでも前回対戦のような恥ずかしい試合をしないレベルにまで持って行って欲しい。
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by tknr0326g8 | 2009-08-31 01:51 | Game Review
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