Grampus Diary from TOKYO
by tknr0326g8
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリ
最新の記事
以前の記事
選手紹介#7 「永遠の超高校級」 古賀正紘(5) 前編
 かつて、高校サッカーを席巻していた東福岡高校に、J全チームが争奪戦を繰り広げた「超高校級」DFがいた。元日本代表DFで協会スタッフだった加藤久も、当時のNumberの中で、「今すぐにでも日本代表に入れて英才教育しても良い」との趣旨の発言をしていた記憶がある。(ちなみに加藤はデビュー直後の小倉を評し、世界の錚々たるスーパースターと並べて「自分が対戦した世界FWベスト5」とかに入れてたこともある) 
 彼は、プロ入団に当たり、最後は名古屋、横浜マリノス、柏レイソルとの三択の中から名古屋を選択した。練習参加した時の名古屋(当時の監督はベンゲル)の練習が「一番頭を使う」内容だったこと。ベンゲル、ピクシーをはじめとして当時の名古屋が「ヨーロッパ色」を打ち出していたこと。名古屋の初代監督で、今でも幹部としてチームに残る平木隆三が、東福岡の監督と懇意であったこと。あたりが理由だったらしい。お涙頂戴が好きなスポーツ新聞的には、決定打となったのは「ベンゲルからの手紙」。さらには「もともと名古屋ファンだった」というフレーズが、嘘でもファン泣かせ。かくして、ファンの誰もが期待をいだかずにはいられない名古屋の古賀正紘が誕生したのだった。当時の触れ込みは、「抜群の読みと身体能力を持ち、ボランチもこなす大型DF」。U-17ワールドユースを経験し、その後もU-19アジアユースのスタメンに高校生ながら名を連ねていた男(この年代では中村俊輔(レッジーナ)と古賀の二人だけ)に、名古屋は異例の10年契約を提示した。(古賀が「甘えたくない」と断った) 何から何までが破格、超高校級。前途は洋々に思えた。

 それから数年が経ち、選手としてのピークを迎えつつある古賀正紘は、名古屋で、ガルサ→トーレス→大岩と受け継がれた「5番」を背負い3バックの一角にレギュラーポジションをキープしている。シャツをだらしなくパンツの外に出し、ソックスをくるぶしまでズリ下げるスタイルは今や瑞穂の定番だ。
 しかし、「黄金世代」と呼ばれベスト8に進出したシドニー五輪、史上初めてアジアで開催され、その「黄金世代」を中心にして臨んだ結果「決勝トーナメント進出」という偉業を成し遂げた2002年日韓W杯、そして2000年に続き2004年もアジアカップを連覇し、2006年ドイツW杯を目指して予選を戦う日本代表、そのいずれのメンバーにも古賀の名前はない。怪我を抱えているわけではない。他の選手に比べDFとしての能力が劣っているわけでもない。ましてや代表監督のジーコやスタッフと目指すサッカーの方向性の違いから喧嘩をしたわけでも、クラブチームのために代表を辞退したわけでもない。
 なぜそうなってしまったのか?当時のスカウト達の目は節穴だったのか?これが本当の古賀の実力であり、限界なのか?

(後編につづく)
[PR]
by tknr0326g8 | 2004-09-29 00:35 | Player's Profile
<< 選手紹介#7 「永遠の超高校級... 選手紹介#6 「暴走機関車」 ... >>