Grampus Diary from TOKYO
by tknr0326g8
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
カテゴリ
最新の記事
以前の記事
選手紹介#9 「J史上最強のストライカー(目前)」 ウェズレイ(10) 前編
 2000年夏。チームを激震が襲った。
 当時の現役日本代表にして、生え抜きでチームの主力だった望月・大岩・平野の3人が当時の監督であるジョアン・カルロスとの確執からシーズン途中にして突如「解雇」を言い渡されたのだ。これが世にいう「清商トリオ」(または「三●鹿トリオ」)事件。(この事件については、いつか気が向いたら改めて書きますが、現状のチームが存続する限りは、そっちの方が遥かに大事なので、日々変化していくチームを追うことを優先していきます。まあ今更どうでもいいって言えばどうでもいいし。) 解雇発表の席上、フロントがサポーターにした「アタッカーの補強」の約束により連れて来られたのが、ブラジルのバイーアで狂ったように得点を量産していたウェズレイだった。
 強靭な肉体を誇るそのストライカーはすぐに持っている能力を発揮し始める。記憶が確かなら瑞穂球のジェフ戦で途中出場し長居でのセレッソ戦で初ゴール、その後日本平でのエスパルス戦では3人ぐらいをぶち抜いて30mくらいの独走ゴールを決めて見せた。
 翌年(2001年)はピクシーラストイヤー。しかし、皮肉にもコンビを組んで半年、やっとピクシーからウェズレイへのアシストが決まりだす。そしてこの2人によるゴールショーの中でも印象深いのはピクシーの公式戦ラストゲームとなった東京ヴェルディ戦、ピクシーがGKへのバックパスをカットしてウェズレイにヒールキックでパス。これをウェズレイが角度のないところから針の穴を通すようなシュート!ウェズレイはピクシーと抱き合いながら、スタンドのサポーターに対して「彼(ピクシー)を褒め称えてくれ」と合図を送った。
 しかしピクシーが引退してからも、ウェズレイのゴールラッシュは止まらない。この年を皮切りに2003年まで3年連続の20ゴール。ハットトリックもジュビロ・中山の持つ記録に並んだ。中でも2001年セカンドステージのジェフ市原戦、頭、右足、左足で決めたハットトリックは絶品だ。
 ピクシー引退後の2001年2ndステージから2002年1stステージにかけてはウリダとのホットラインが開通。抜群の戦術眼を持つウリダから最高のタイミングで繰り出されるパスに走り込むウェズレイのゴールパターンは何度も相手DFを切り裂いた。
 ピクシーの背番号「10」を受け継いだ2002年1stステージ途中からはイヴォことイヴィツァ・バスティッチとの「(初代)J最強2トップ」。個性の異なる2人のストライカーの組み合わせは相手チームにとって脅威だった。
 そして迎えた2003年。1stステージ5ゴールと不振にあえぐ。監督(ズデンコ)との確執も表沙汰に。しかし1stステージ途中から加入したブラジル人のマルケスのサポートと、2ndステージから就任した同じくブラジル人の監督・ネルシーニョの戦術と厳しいフィジカルトレーニングで見事復活。2ndステージはゴールを量産し、見事チーム初のJリーグ得点王に輝いたのだった。
 強靭な肉体とキーパーが腕の骨を折るほどの強烈なシュート。そして、なんと言っても、とにかくこの人、シュートを浮かさない。これまで数多くの得点を生み出してきたFKも大きな武器だ。憧れのロマーリオとはタイプはかなり異なるが、強引な突破からシュートを常にシュートを狙う姿はまさに「生まれながらのストライカー」。そしてアルシンドの持つJ通算ゴール記録更新も射程圏内に入り、名実共に「J最強ストライカー」となるのもそう遠い話ではない。

 しかし、順調に思われたウェズレイが今大きな危機に直面している。

(後編につづく)
[PR]
by tknr0326g8 | 2004-10-04 04:52 | Player's Profile
<< 選手紹介#9 「J史上最強のス... U-20アジアユース選手権 >>