Grampus Diary from TOKYO
by tknr0326g8
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選手紹介#1 「ミスターグランパス」 岡山哲也(21) 前編
 「怪物・小倉隆史の親友」「ベンゲルサッカーの申し子」「ピクシーのベストパートナー」、名古屋の「陽」の歴史の傍らには常に彼の姿があった。そして地元中京高校の出身でJ創設時からのチーム唯一の生え抜き、人はいつしか彼を「ミスターグランパス」と呼ぶようになった。
 入団から数年、なかなか出場機会に恵まれず、いつ解雇されてもおかしくなかった彼にやっとスポットライトが当たったのは、ベンゲルが監督に就任した1994年。その類稀な「機動性」に注目したベンゲルは、やがて彼をスタメンに固定する。ベンゲルが選手に「機動性」を求めたのは、チームの核としてストイコビッチという稀代のパサーの存在がいたからだ。ストイコビッチを中心とした機動力の高いサッカー、それがベンゲルが思い描いたプランだった。ベンゲルの期待に応えた岡山はすぐにその頭角を現す。最初は本来のポジションであり小倉の怪我などで人手不足のFWに入りピクシーのパートナーとしてプレー。ピクシーのパスに鋭く反応して相手DFを混乱に陥れた。怪我から小倉が復帰するとベンゲルは岡山を右サイドハーフにコンバート。これがまた当たった。右の岡山、左の平野というスピーディーで特徴の異なるサイドアタックは、ピクシーや浅野、デュリックスといった正確なロングキックを蹴れる選手達にも活かされ、思う存分ピッチを走り回った。岡山自身もそのポジションでのプレーに自信を深め、当時のB代表に選出されるまでになった。
 しかし当時一世を風靡した「アトランタ五輪代表」の西野(監督/現ガンバ大阪監督)には見向きもされなった。「トラップやキックといった基礎技術のレベルが低い」というのがその理由だった。そしてそれは後々まで尾を引く彼の弱点となる。
 やがてベンゲルが名古屋を去ると岡山にとっては徐々に困難な時代がやって来る。次の名古屋の監督に就任したのはポルトガル人のカルロス・ケイロス(昨年のレアル・マドリード監督にして、現在のマンチェスター・ユナイテッド・コーチ)。ケイロスは、ボール奪取からの速攻一辺倒だったチームに「ポゼッション」という概念を持ち込んだ。実際にベンゲル時代も末期には研究され、左右のタテを切られて引かれた相手には崩すのに苦労するシーンが多々見られた。ケイロスはボールポゼッションと(ベンゲル時代にはなかったSBのオーバーラップなどの)流動的な動きによる崩しでこの打開を図ろうとしたのだった。そこでは望月(重良)などの「足元に強い」プレーヤーが重宝され、岡山や浅野など技術面で難のある選手達にとっては苦難の時代となった。ダイナミックさよりも緻密さ、そんな感じだろうか。
 そんなケイロスが去ってからも岡山の苦難の時代は続く。チームの成熟とともにその技術の粗さが露呈し始めたのだ。いつしか戦力も充実し「優勝争いの常連」となっていたチームの中で、キック、トラップといった基礎技術の低さは、「決定力不足」となって表れた。度々訪れる決定的なチャンスに、「そこにいる」ことは出来るが決められない。枠を外れるシュートに瑞穂のサポーターは何度頭を抱えたことだろう。悲願の優勝に向けて膨れ上がったファンの期待を裏切り続けるチームの中で、サポーターのフラストレーションを一身に受けた岡山はやがて「戦犯」として批判を浴びるようになった。

 しかしそんな岡山に転機が訪れる。それが自ら「ベストパートナー」と語るピクシーの現役引退だった。

後編につづく)
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by tknr0326g8 | 2004-09-20 22:08 | Player's Profile
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