Grampus Diary from TOKYO
by tknr0326g8
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PlayBack#7 “オーストリアの英雄”ヴァスティッチの記憶
 オーストリア・スイス共催のEURO2008に、地元オーストリアの代表選手として、かつて名古屋にも在籍していたイヴォことイビツァ・ヴァスティッチが出場している。38歳という年齢でまだ現役を続けていること自体驚きだが、ビッグタイトルが懸かった大会で代表に復帰してしまうのだから恐れ入る。2002年の日韓共催W杯でフィリップ・トルシエが中山雅史や秋田豊をメンバーに加えたように、求心力のあるベテラン選手を敢えてチームに入れておくというのは、チームマネージメントの手法として決して珍しいことではないが、ヴァスティッチの場合スタンドからの圧倒的な後押し(「イヴォ」コール)もあってか、いきなり初戦(クロアチア戦)から0-1とリードされた後半に反撃の切り札としてピッチに姿を現すこととなった。

 オシム率いるシュトルム・グラーツでマリオ・ハース等とともに黄金時代を築いていたヴァスティッチが日本へとやって来たのは、日韓ワールドカップが終了したばかりの2002年7月だった。シュトルム・グラーツからセットで加入したクロアチア出身のDFパナディッチとともにさっそくチームにフィットしたヴァスティッチは、1stステージの残り8試合で5ゴールを量産し、チームも7勝1敗という驚異的な勝率を残した。爆発力のあるウェズレイとの2トップは文字通り「J最強2トップ」と呼ぶに相応しく、2ndステージ開幕を控えてチーム内外からは優勝を期待する声も上がっていた。そしてシーズン開幕戦、ホーム瑞穂に清水を迎えた名古屋はヴァスティッチのスーパーミドルを含む2得点などで清水を3-0と粉砕する。周囲の期待感は最高潮に高まっていた。しかしその後ヴァスティッチのパフォーマンスが低下すると、名古屋はチームの勢いも失っていった。そして初優勝を期待された2002年2ndステージはクラブ史上最低順位(当時)という皮肉としか思えない結末で幕を閉じたのだった。

 オーストリアでそうであるのと同様、名古屋でもヴァスティッチの人気は高かった。端正な顔立ちのせいもあるだろうが、ラストマッチとなった豊スタでの仙台戦で後半ロスタイムに決めた劇的過ぎる逆転ゴールなど、一年間という短い在籍期間で名古屋の地に刻んだプレーの印象は余りにも強い。野球でしか存在しないと思っていた「逆転サヨナラ」ゴールに俺もTVの前で思わず涙腺が弛んだクチだが、それでも俺は名古屋サポのイヴォに対する評価が(例えば翌年チーム初の得点王を獲得したウェズレイなどと比べても)不当に高いものであるとも感じている。そしてその最大の理由は、いつからかヴァステイッチのプレーにはどこか心ここにあらずな雰囲気が漂い始めたからであり、アタッカー(FW)として獲得されたにも関わらず前線で身体を張るプレーを放棄してしまったからである。それがチームの成績にも反映されていたのは上でも書いた通りである。

 ヴァスティッチのプレースタイルに変化を与えるきっかけとなったのは、俺が知る限り2ndステージ・第3節の千葉戦だ。その年のシーズン開幕前、強引な手法によって監督のズデンコ・ベルデニックを引き抜いた名古屋に対し千葉は「報復」に燃えていた。そしてスポーツ新聞紙上などで2トップを名指しして「削りに行く」と宣言していた中西永輔は試合でそれを実行に移す。しかし主審はその悪質なファールに対して警告ひとつ出さないどころか、後半38分報復行為による二枚目のイエローカードでヴァスティッチを退場させてしまった。この試合の後EURO2004予選のために欧州に戻ったヴァスティッチは地元の記者に対して日本のレフェリーのレベルの低さを嘆いたという。明らかに相手を傷つけることを狙って危険なファールを繰り出していた中西は犯罪者以外の何者でもない。ご丁寧に新聞で予告まで残していたのだから、選手を守るためにクラブは中西を傷害で刑事告訴するぐらいしてもよかったと俺は半分本気で思っているが、とにかくこの一件があって以降ヴァスティッチは前線で身体を張ることをやめてしまった。ヴァスティッチが自陣にまで戻っての献身的な守備に精を出す一方で、前線ではウェズレイが孤立し相手チームに囲まれ徹底的に潰されていた。

 そんなヴァスティッチがやる気を取り戻したのは、皮肉にも翌年に一年の契約が切れる直前、退団が決まってからだった。契約を延長したかったというようなヴァスティッチの言葉がマスコミを通じて伝わってきたこともあったが、おそらくあれはリップサービスだろうし、(求められる役割で)100%の力を発揮していないヴァスティッチとの契約を延長せず新外国人のマルケスを連れてきたことは(結果も含め)至極真っ当な判断だったと思う。
 退団が決まってからのヴァスティッチはまるで名古屋の地に自分の名と記憶を刻もうとするかのごとくハイレベルのパフォーマンスとモチベーションを取り戻していった。ヴァスティッチにはスピードがあるわけでも華麗なテクニックがあるわけでもないが、その右足から繰り出されるキックはとにかく破壊力があり、40m級のサイドチェンジを次々と決め、強烈なシュートをゴールへと突き刺した。そして最後の瞬間に訪れたサヨナラ・ゴールもペナルティエリアの外からやはりその右足によって放たれたのだった。

 在籍期間こそ一年間と短かったが、練習に取り組む姿勢などが、当時まだ若かった中村などにとって良い手本となっていたというヴァスティッチ。そんなオーストリアの英雄を名古屋で見られたことは名古屋ファンにっては誇りだし、そんなヴァスティッチ最後の(?)晴れ舞台を一試合でも長く見ることが出来れば名古屋ファンとしては幸せだ。
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by tknr0326g8 | 2008-06-11 00:05 | PlayBACK
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