Grampus Diary from TOKYO
by tknr0326g8
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28
カテゴリ
最新の記事
以前の記事
<   2006年 01月 ( 3 )   > この月の画像一覧
PlayBack#5 名古屋がレフティー天国と呼ばれていた時代
 今シーズンの新加入(新卒)選手の入団発表が16日に行われた。

 今年の新人は、
 ・DF竹内彬(国士舘大学)
 ・DF片山奨典(国士舘大学)
 ・DF阿部翔平(筑波大学)
 ・MF青山隼(名古屋ユース)
 ・MF和田新吾(磐田東高校)
 の5名。

 竹内は守備(1対1)の強さに加え技術、戦術、メンタルも高いレベルで兼ね備えたCB。片山、阿部はともに左アウトサイドのプレーヤーで、ありきたりな表現を使えば片山が剛で阿部が柔といった感じ。片山はパワフルな左足のキックとオーバーラップ、阿部はテクニックとナイフのように鋭い左足のキック、といったようにともに確かな特徴を持っている。青山に関しては選手紹介#15で俺なりの思いを書いたのでそちらを参照してもらうとして、この中で実際に生でプレーを見たことがないのが和田だが、MF登録ながら静岡国体選抜として出場したSBSカップを(スカパーで)見た時はCBを務めていた。青山ともどもいずれはヨンハッの穴を埋めるようなプレーヤーへと育つことが期待される。

 今年の新人はかなりディフェンスに偏った人選となっているが、二年前の豊田×平山、去年の本田×井上と特徴こそ微妙に違えど間違いなく同じポジションを争うことになるであろう選手をセットで獲得する傾向――ちなみに去年の鴨川と杉本は同じFWだけど大きく特徴が異なるし併用も可能なのでこの範囲でない――は健在なようで、今年も片山×阿部、和田×青山あたりはポジションが競合することが予想される。これはライバルを作ることで成長を促進させる狙いなのか、只でさえ未知数な新人だけに2人獲って片方でも育てばラッキーと思っているのか・・・。

 そんな、同じポジションに新卒を複数獲得するという現象で思い出されるのが1997年だ。
 名古屋はベンゲルの時代(1995-1996)から左サイドが補強ポイントと言われていた。平野という不動のレギュラーはいるが彼にもしものことがあった場合のバックアップに人材を欠けているというのがその最大の理由だった。ベンゲルの2年目(96年)には大宮東高校からヴェルディの下部組織出身という左利きのテクニシャン佐藤悠介(現湘南)を獲得したが、それでも岡山というレギュラーに加え第4の外国人として獲得したオリビエ、ユニバーシアード金メダリストルの望月、そして喜名等が控える右SHと比べるとその層の薄さは一目瞭然で、ベンゲルはプレシーズンマッチなどを利用してしばしば岡山の左SHをテストしていた。さらに言うなら、小川という不動のレギュラーはいたもののベンゲルが一年目に好んで使ってていた(単に人がいなかっただけかもしれないが・・・)津島(現FC岐阜)が95年シーズン終了とともに解雇されてしまった左SBのポジションも本職でない西ケ谷がバックアップを務めていた状態で、翌シーズンに向けて最大の補強ポイントは間違いなくここ(左サイド)でありレフティーだった。

 そして97年のシーズン開幕を迎えるに当たり(監督は前年途中からベンゲル→ケイロスへと代わっていたが)クラブはU-17日本代表としてワールドユースも経験した中谷(奈良育英)を筆頭に、滝沢(武南)、三原(佐賀商)といった全国レベルで名の知れた高校生レフティーを次々と獲得して行った。確か当時スカウトだった沢入重雄がTVで自信満々に「補強ポイントは左サイドだったので大満足」と語っていたぐらいだから、スカウトの自己評価としては満点補強だったのだろう。しかし俺はその時疑問を感じずにはいられなかった。高校生を何人も獲得したところで、その選手が平野や小川の代役として使えるのか?将来を見据えた新人(高校生)に加えて即戦力を獲得して始めて「補強」と言えるのではないか。

 そして不安は現実のものとなった。

 問題は主に負傷が長引きそうな小川のいた左SBだったが、期待の中谷はプロの練習に着いて来られずキャンプの時点で早々とリタイア、キャンプで頭角を現した二年目の佐藤悠介も開幕までその評価を持続させることは出来なかった。そしてリーグ開幕戦で左SBのスタメンを飾ったのは本職が左MFのルーキー・滝沢で、決してそれ(滝沢)だけが原因ではないが、優勝候補だった名古屋は開幕から怒涛の連敗を記録した。補強は失敗だった。シーズン途中に慌てて横浜で出番を失っていた元日本代表DF・鈴木正治を補強したが、時すでに遅しといった感じな上、その鈴木も移籍後最初のゲームで負傷による長期離脱という不運に見舞われてしまう。

 今から考えてもこのベンゲル~ケイロス時代にかけては、とっさに名前が浮かぶだけで小倉、平野、小川、西ケ谷、パシ、リカルジーニョ、佐藤、中谷、三原、滝沢といった才能溢れるレフティーが何人もクラブに在籍していた。それから約10年の月日が経ち、クラブは再び左サイド(特に左SB)を補強ポイントとし片山と阿部を獲得した。これに前年に高卒ルーキーとして獲得していた本田、井上、さらには同年代の渡邊を加えればちょっとした左サイド復興の機運が見えてくる。片桐のチーム復帰こそ叶わなかったが、獲得に向けた交渉が報道されている玉田が前線に加わることになれば名古屋に新しいレフティーたちの時代がやって来ることも決して夢ではない。そしてそんな新時代のレフティー王国復興を前に、95~97年当時の王国最後の生き残りである中谷の柏(レンタル)移籍が決定したのには何かの因縁を感じずにはいられない。

 今年半ばでベンゲルからはや10年か・・・。
[PR]
by tknr0326g8 | 2006-01-19 02:37 | PlayBACK
選手紹介#15 「浅野哲也の8番を継ぐべき男」 青山隼(32)
 2004年に日本で行われていたU-17アジアユース選手権のピッチに青山はキャプテンとして立っていた。翌年のU-17ワールドユース(ペルー)予選も兼ねたこの大会で、日本はホームの利を全く活かすことが出来ず(実際観客席もまばらだった)、組み合わせの不運(最終的に本大会出場を決めた三カ国のうち二つ(中国と北朝鮮)が日本と同じグループに入っていた)もあってグループリーグで姿を消すことになってしまったが、名古屋所属のプレーヤーが(アンダーカテゴリーとは言え)「ナショナルチーム」の公式戦でキャプテンマークを巻いていたことは俺にとってちょっとした誇りだった。

 東北の雄・FCみやぎバルセロナから名古屋ユースへと越境入団を果たした青山は、恵まれた体格とサッカーセンス、そして名古屋のコーチングスタッフに当時のU-16日本代表監督だった布の市船時代の教え子・小川誠一がいたことなどの環境面にも(おそらく)恵まれ、クラブと同時に代表でもそのキャリアを順調に積み重ねてきた。そして現在もU-18日本代表のレギュラーとして今年開催予定のアジアユース、そして来年カナダで開催予定のワールドユースを見据える押しも押されぬ(名古屋においては珍しい)全国区だ。

 そんな青山を語る時、巷では専門誌を含めて様々な形容――「守備が強い」とか「運動量が豊富」とか「キャプテンシーが強い」とかいう類のもの――が使われているが、どうも俺にはイマイチしっくり来ない。例えば「守備的」という部分に関して言えば、確かに現在のU-18日本代表での青山は柏木や柳澤といった攻撃的なプレーヤーとボランチを組む機会がほとんどでその役割は第一ボランチとも言うべき守備的なものが多く、点を奪いに行きたいシーン(試合)ではしばしばCBとしてもプレーしているからあながち外れとは言えないだろう。実際(高校レベルではあるが)ヘディングなどの競り合いにはかなり強い。しかし青山は決して守備的な(それだけの)プレーヤーではない、と俺は思う。代表レベルになれば(国内では)キラ星のごときタレントが前線にも集まっていて、青山は守備に重心を置いた自分の仕事に専念していればいいが、自分のクラブ(名古屋)に帰れば青山は紛れもない中心選手なわけで、その役割は必然的に拡げざるを得ない。名古屋での青山のプレーには、その持ち味でもある正確なロングキックはもとより、スルーパスや前線(ボックス)への飛び出しなど攻撃面でも非凡な才能を感じ取ることが出来る。ちなみにU-18日本代表の吉田監督も時として青山をCBで起用する時はその理由を「ボールを動かせるから」と言っている。
 「運動量が豊富」というのはどうだろう。これもどこかの専門誌で見かけた青山の紹介文の一節だが、なんとなくそこにはボランチ=運動量豊富とでも書いておけば無難だろうというような安易な発想が読み取れなくもない。実際の青山は無尽蔵の運動量で猟犬のようにピッチをキビキビと走り回るようなタイプではない。むしろその重そうな(まるで足に鎖で錘を繋がれたような)走り方はおそらく日本人受けしないものだろう。それは将来名古屋サポの中にもアンチ青山がウジャウジャ湧いて来てバッシングが繰り返されるかと思うと今から俺の気が重くなるぐらいのレベル。(笑) だが間違いなく言えるのは、サイズのある彼が本気でプレーすればかなりの迫力があるということだ。
 そしてU-17日本代表時代キャプテンを務めていたことで、当時のテレ朝の特集(「Get sports」)でもそのキャプテンシーがクローズアップされていたが、俺はむしろ(前にも書いたが)まだメンタル面で課題が大きいような気がしている。それは入団会見で本人が語っていたプレーのムラや好不調の波という部分にも大きく関係していることだと思う。そう言えば夏のクラブユース選手権の頃だったか「エルゴラ」で「U-17アジアユースの敗退後精神的なスランプに陥っていた」とひしゃく氏が書いていたけど、まあそれが本当かどうかは知らないが、プロになればフィジカル同様メンタル面も鍛えて行く必要があることは確かだろう。(まあこの辺は中スポの「ユースニュース」を読む限り神戸さんも認識しているようだし、ユースとセカンドチーム兼任を神戸さんが続ける限り大丈夫か)

 俺が観に行った(名古屋)ユースの試合では、代表疲れからか――東欧遠征帰りのプリンスリーグ・中京大中京戦や仙台カップ帰りの高円宮杯など――途中で(しかも前半)代えられるような試合が多かったが、彼が集中している時のプレーは確かに高校レベルで群を抜いている。決してスピードがあるわけでも走り回るわけではないが、恵まれた体格を生かして攻守に見せる迫力ある、それでいて(攻撃面に出た際の)どこかエレガントな感じがするプレースタイルは時として俺にパトリック・ビエラ(ユヴェントス)を連想させる。

 無事トップチームに昇格を果たしたが、この才能が、願わくば今後もいい指導者に巡り会い、変に甘やかされたりも惑わされたりもすることない程良いプレッシャーの中で順調に伸びて行ってくれることを願う。(アンチは論外だがそれなりに厳しい環境というのが青山には必要だと思う) そして俺自身の思いとしては名古屋のパトリック・ビエラに、そしてユース時代の5番も悪くはないが、中盤の底で浅野哲也の「8番」を継ぐのはこの男であって欲しい。
[PR]
by tknr0326g8 | 2006-01-17 03:32 | Player's Profile
2005年シーズンを振り返る その2
あけましておめでとうございます。
去年のうちに書き始めてたんですが、ダラダラしてたら年が明けて(しかもこんなタイミングになって)しまいました。
(文中、「去年」とか「今年」とか「先シーズン」とか「今シーズン」がごっちゃになってたらすいません)
「2005年シーズンを振り返る その2」は流れを追ってシーズンを振り返ろうと思います。

■4バックへのチャレンジ
 ネルシーニョ政権にとって集大成となる2005年、名古屋がシーズン開幕に向けて用意していたのは4バックだった。当初は相変らず4バックと3バックの併用を想定していたはずのネルシーニョが4バックでシーズンに臨もうと思い至った要因は大きく分けて三つあると思う。
 まず第一に春先の指宿キャンプにおいて大森が完治まで半年以上は掛かるかという大怪我を負ってしまったこと。就任以降ネルシーニョは3バックをベースとしていたが、その最大の理由は「選手達が慣れているから」だった。2001年シーズンの開幕戦でズデンコが突如キャンプから準備してきた4バックを放棄して以来名古屋はそのほとんどの期間を3バックで戦ってきた。右から大森、パナディッチ、古賀と並ぶ3バックは――結局のところパナディッチの卓越した(レベルを超えた)カバーリングに拠って成り立っていた部分は大きいが――コンビとしてもかなり成熟していたし安定感は抜群だった。2004年途中にパナディッチが退団してからはそのポジションに経験豊富な秋田を組み込んだが、大森、古賀の2人を残したその新型3バックはなんとかそ旧型の代用品たり得ていた。しかしそこからさらに大森が欠けてしまった。磐石の旧型3バックを構成していた3人のうち2人がいなくなったDFラインで3バックを採用し続けるメリット(継続と蓄積による慣れ)はなくなったと言って良かった。
 第二にその年のシーズンオフの「ピンポイント補強」で福岡から長身(の割りに敏捷性もある)DF増川の獲得に成功したこと。「4バックでザゲイロを務めるためにはスピードが必要不可欠」という考えがどうやらネルシーニョのサッカー観にはあったようだ。そうなると秋田は使えない。昨年まで在籍していた海本兄が怪我がちだったこともあり、昨年のシーズン途中には古賀のパートナーとして井川を獲得したが、そのチャレンジは2ndステージ開幕戦でいきなり破綻していた。そしてこのシーズンオフ海本兄を放出した後釜に増川を獲得し、4バック実現に向けた人材面での素地がやっと整ったのだった。
 第三には自らの理想とするサッカーの実現。4バックは3バックと比べてもより攻撃に(前に)人数を掛けられるシステムだ。まぁ一概にシステムによってそのような傾向が規定されるものではないというのが俺の基本的な考え方だが、名古屋のように(ある意味真面目で)保守的な選手が揃うクラブにおいてそれは典型的な症例だった。それを考えるとネルシーニョがよりバランスの取れた攻撃サッカーを志向するのであれば、無理矢理にでも4バックに移行することはどこかのタイミングで必要な選択だった。

■新生名古屋の船出
 チームのストロングポイントである2トップの出遅れがやや不安を残したものの、シーズン開幕より一足早くプレシーズンマッチ・大連実徳戦でベールを脱いだ名古屋の新4バックは、昨年までよりもアグレッシブで攻守にバランスの取れたサッカーだった。そしてシーズン開幕後もその傾向が続いたサッカーを俺は好意的に受け止めていた。例えばこんなシーン、クライトンがボールを受けた時、今シーズンの名古屋では前の4人の他に彼とほぼ(横)同位置からスタートを切るSBの姿が見えるようになっていた。来日当初、動き出しのタイミングや質そしてプレーへの信頼から外国人2トップにその殆どのパスを集中していたクライトンにとって、彼の持つ視野の広さと長短を織り交ぜた七色のパスを活かせる環境がやっと整った瞬間だった。
 個々のプレーヤーもその持ち得る能力を発揮し始めていた。
 年齢的にも主力として期待されていた生え抜きの中村と古賀は、中村は通常の1.5倍の運動量で鬼神のごとくピッチを走り回り、古賀も最終ラインでこれまでの1.5倍の責任感と集中力を伴ったプレーでその役割をこなした。そしてシーズンオフに海本幸治郎とのトレードのような形で獲得した北朝鮮代表のアン・ヨンハッ。吉村よりもボール奪取能力に優れポジショニングなどディフェンスの勘が良いヨンハッは守備に安定感を与えていた。それに単純にボールを捌く能力だけなら吉村もヨンハッもそれほど変わりはないが、主体的にゲームに関わって(ボールに絡んで)くる気持ちという面ではヨンハッのそれは吉村の比ではなかった。4-4-2の左SHとして開幕からポジションを確保したゴールデンルーキー・本田圭佑も堂々たるプレーぶりでその「片鱗」を発揮。昨シーズンの活躍(ベストイレブン)によって各チームから徹底マークが予想されたマルケスの近くで、本田はしばしばその信頼を得てボールを預けられた。本田とともにワールドユースを見据えてキャンプから好調長を持続していた渡邉とその運動能力の高さで海本幸治郎の穴を埋めた角田はともにSBとしてネルシーニョからサイドアタックの命を受け開幕スタメンに名を連ねた。

 ただ不安がないわけではなかった。毎試合PSV時代の朴智星ばりの運動量でピッチを走り回っていた中村のコンディションがシーズン終了まで続くとは思わなかったし、ヨンハッもまた(守備の得意でない)クライトンの攻撃力を活かす上では申し分ないパートナーではあったが、バイタルエリアから両サイド、そしてDFラインのカバーまでをこなすオーバーワーク――しかも接触プレーを厭わず中盤で身体を張るプレースタイル――にいつかパンクするのではないかという心配が頭をよぎった。(そして後にその嫌な予感は的中する)
 そして若いチームにあって経験や勝負のしたたかさといった要素は補っていかなければならないものだった。
 例えば千葉との開幕戦。チームは2-0から残り数分を逃げ切る術を知らなかった。試合後、若い日本人プレーヤーを代表するかのように角田は言った「前の2人(ウェズレイとマルケス)からディフェンスをしてくれないから苦しい」。しかしこれは本当にそうだろうか。確かに同点に追いつかれた時間帯2トップは前からボールを奪いに行くようなことはしなかった。自陣(ハーフウェーライン手前)まで引いてスペースを埋めカウンターのチャンスに備えていたが、角田の言う通りセカンドボールを拾えない名古屋はカウンターどころか千葉の波状攻撃に晒されている状態だった。だが、実際の失点シーンがどこから始まっていたかをよく見てほしい。完全に相手にボールを支配されサンドバックのように攻撃を浴び続ける展開に焦れた中村が「不動」の2トップを追い越してボールホルダーである千葉のDFに全速力でプレッシャーを掛けに行き交わされた。勢いそのまま千葉DFラインをも追い越して行ってしまった中村が自陣へ戻る体力はもはや残されていなかった。千葉は中村が空けた(名古屋にとっての)右サイドから名古屋陣内に侵入するとバランスの崩れた守備陣形を突きそこから上げたクロスボールで得点を陥れた。おそらく「チームのために」と考えた中村のプレーだったが名古屋の若さが出たシーンだった。相手も死にもの狂いだ、苦しいのは当たり前。そこで必要なのは闇雲に動き回ることではない。我慢して耐えることも時には必要だった。

■誤算
 開幕戦で痛い引き分けに持ち込まれたものの、そのスタイルは崩さず翌第2節には磐田に走り勝って完勝を収めるなど、未完成ではあるがその分伸びシロも感じさせるチームは順調にして未来に期待を抱かせるスタートを切った。だが、その順調に見えたチームはその後徐々に綻びを見せ始める。口火を切ったのはウェズレイの離脱だった。マスコミの前で漏らしたネルシーニョ(の起用法)への不満が原因でネルシーニョとの確執が噴出。開幕戦以後その姿を名古屋のピッチに見ることはなかった。ウェズレイの穴をスピードキング・杉本やマルケスを中心に中村、本田が絡んだ攻撃でなんとか補っていたも名古屋だったが、悪いことは続くもので、その後ヨンハッ、増川を次々と故障で失うとチームはその形を歪にして行った。決してストライカータイプではないマルケスを1トップに据え、増川を失った最終ラインはいつの間にか秋田を中心とした3バックへと変化していた。そしてGWの連戦ではその秋田や中谷までもが怪我で離脱。特に秋田の怪我(鎖骨骨折による長期離脱)は衝撃的だった。今シーズンはどのチームも少なからずそうだったが、名古屋もまた例に漏れず野戦病院と化していた。
 そんな手負いのチームに決定的な出来事が起こる。チームのエース・マルケスの退団だ。その存在を一言で表すのは難しいが、ピクシー、リネカーなどクラブの歴史に名を連ねるスーパーな外国人選手達と比べても全く遜色のない正真正銘のワールドクラスだったマルケスの能力はJの中でもズバ抜けていた。チームの戦術も当然のごとくそんなマルケスを前提としたものだったし、それはとても「みんなで力を合わせて補える」ような代物では到底なかった。
 そしてチームは一時は2位に付けていた順位を徐々に落としていった。

■二度の中断
 今シーズンを振り返ると、コンフェデレーションズカップやワールドカップ予選にともなう二度の中断がリーグ戦に与えた影響はかなり大きかった。まあそれでも強いチームは終始強かったわけだが、特に二度目の中断以降に猛烈に調子を上げたC大阪や川崎といったチームが最終的に優勝争いや上位争いに食い込んだことを考えると、二度の中断を挟んでどんどん弱くなっていった名古屋の最終順位はなるべくしてなった順位のようにも思える。

 マルケスが退団した名古屋はコンフェデレーションズカップに伴う一度目の中断期間を利用してG大阪から浪速のゴンこと中山を、そして磐田からは浦和との争奪戦の末に藤田を獲得して真夏の連戦・HOT6へと突入した。その時出来うる限りの補強は果たしたと思うし、この期間は初めて生で触れる藤田のプレーやその身体能力をはじめ類稀な潜在能力を持つ二年目のFW豊田の覚醒(鹿島戦でプロ初ゴールを含む2ゴール)、そして杉本のSB起用など驚嘆を伴った印象的な出来事がいくつかあったが、やはり終わってみればマルケス(というか前線での絶対的な存在)を失ったことがチームにとって大きなダメージであることを痛感せざるを得なかった。戦績だけを見れば藤田を馴染ませながら強豪チーム相手に互角以上の戦績を残したとも言えるが、前線に試合を決められるFWがいれば…と思う試合がいくつかあったのは事実だった。そして優勝争いに僅かな可能性を残し、クラブは待望の新外国人FWルイゾンを補強して二度目の中断へと突入する。最後の巻き返しを期して…。

 しかし名古屋の調子は上がって来なかった。むしろ二度目の中断後はチームのコンディションが低下していたと見ることすら出来る。名古屋が調子を落としていった理由はいくつかある。まずは巻き返しの切り札である新加入のルイゾンがチームにフィットしたり自身のコンディションを上げるのに時間を要したこと。ルイゾンはリーグ戦が再開された後もしばらくは試運転のような状態だった。そしてそのルイゾンがチームにフィットするのに時間が掛かったこととも大いに関係があるが、クラブとして三人目の外国人を獲得できなったこと。藤田獲得に際して(その資金調達の為か)レンタル移籍中だった原を売り払ったことから推測するにおそらくクラブには三人目の外国人を雇うお金がなかった。しかし仮にここでルイゾンをサポートできる外国人(ブラジル人のアタッカー)がもう一人加入していたら、ルイゾンがチームにフィットする時間は大幅に短縮されていただろう。
 そして名古屋が調子を落とした最も深刻な理由は、この時期に行われた(おそらくもう誰もが忘れているであろう)鹿児島キャンプの失敗だった。グラウンドを始めとした環境のひどさは当時のキャンプレポートを読めば一目瞭然だ。キャンプ地を選んだ人間が悪いのか、管理しているところが悪いのか知らないが、もし恒例の古川町あたりで腰を据えてじっくりキャンプをしていればこんなことにはならなかったかもしれない。まあグラウンドがどんな状態であれ結果を出すのがプロと言われてしまえばそれまでの話で、普段最高の環境と設備で練習しているナイーブな名古屋の選手たちを考えれば、日本人がタイに行って現地の食べ物喰ってお腹壊したぐらいの話かもしれないが。
 そしてそのキャンプの失敗が原因だったのかオフシーズンの過ごし方が問題だったのかそれとも開幕からの疲労の蓄積かは分からないが、二度目の中断明けにはチームの主軸たる中村のコンディションが目に見えて落ちていた。

■監督交代
 リーグ戦再開後、優勝へ一縷の望みを掛けて臨んだ最下位神戸との試合でまたしても神戸に勝ち点3をプレゼントしたり、FC東京戦で楢﨑の信じられないミスから勝ち点2を失ったり、横浜戦でこれまた信じられないミスジャッジでロスタイムに勝ち点2を盗まれたりとアンラッキーな展開も手伝い名古屋はあっという間に優勝争いから脱落した。まあアンラッキーというか、FC東京戦や横浜戦(前半)を見れば、あの内容で勝ち点3を取れそうだった事自体がラッキーで、結果は当然というかむしろラッキーだったのかもしれないが。

 目標(優勝)未達。優勝が叶わない以上J2に落ちさえしなければ中位も下位も同じ。そしてガラガラのスタンド。
 フロントに残された道はブラジル国内の移籍期限ギリギリとなるタイミングでルイゾンを売り払い推定1億5千万とも言われる移籍金(3億円の移籍金のうち半分がルイゾンと代理人の取り分だったと言われている)を得てクラブの財政的な収支を合わせることしかなかった。そんな背景があるからルイゾンと時を同じくして解任されたネルシーニョに代わる監督も(トップチームでの監督経験がない)中田コーチをそのまま内部昇格させて指揮を執らせた。もちろんコーチの補充はなし。中田監督の評価に関しては、今となっては完全に結果論での判断となってしまう面もあり、当時J2降格の可能性がゼロではない状況の中で全く新しい(クラブのことを何も知らない)外国人の監督を連れて来て指揮を執らせるリスクだとか、翌年には新体制でのスタートを明言している中でそんなワンポイントリリーフ(というか敗戦処理)を引き受けてくれる日本人の指導者がいるかといったことを考えれば、後任には中田コーチを内部昇格させるという判断が(その時点で)決して常軌を逸したものではなかったと思う。ただ問題は、あくまでそこで――チーム状態から判断して、また後任の目処が中田コーチしかいない状況を踏まえて――ネルシーニョを切る必要性があったかということであり、代えるにしてもコーチの補充をしなかったという判断だ。
 俺個人の判断としては少なくともシーズン終了まではネルシーニョを続投させるべきだと思っていた(ただ契約更新に関してはその後の戦い方次第ではあるがちょっとネガティブな面もあった)し、もしネルシーニョ体制を持続し前線にルイゾンを残したまま戦っていたらシーズンの残りで名古屋がその後どんな戦い方をしていただろうかと考えると少し惜しい思いもある。ルイゾンに関しても名古屋サポの間では恐らくネガティブな見方が大半だろうが、俺の中では(特にそのコンディションが頃には)「思ったよりもずっといい選手だった」というのが率直な感想だ。決めるべき時に決めるゴールハンターとしての才もさることながら、事前にTVやビデオで見ていた限りこういうポストの上手いタイプは日本のDFのファールまがいのバックチャージの餌食になり、それ(ファール)を取ってくれない日本の審判にキレるかやる気をなくすのがオチだと思っていたが、ポジショニングや動き出しの上手さからかルイゾンがそのような醜態を見せることはなかった。ただ余りに在籍期間が短く相手チームに研究される前に退団してしまったというのは差し引いて考えなければならないが・・・。

 ネルシーニョの解任に関しては、実際には中スポ得意の内ゲバ記事にあった通りネルシーニョと選手の間に埋められない溝が出来ていたのかもしれないし、普段の練習も観に行けない俺のような部外者には分かり得ない問題がたくさんあったのかもしれない。しかしあの記事に関してひとつだけ言わせてもらえれば、記事自体が「死人に口なし」をいいことに選手側の意見だけで構成されていて、「試合前日に突然起用を言われて戸惑った」などという選手のろくでもないコメント垂れ流しているようでは話にならない。いつチャンスが来ても良いように準備しておくのが控え選手ってもんだろう。そのために(試合に出るために)普段から練習してるんじゃないのか。そういった選手の甘えを増長させてる原因は間違いなくマスコミにもその一端があると俺は思うけど。

■暗黒のサッカー
 最終節の千葉戦、千葉のGK櫛野とDFストヤノフの連携ミスを突いてこぼれ球を鴨川がシュートしてゴールを決めた時、俺の脳裏に浮かんだのは「マイアミの奇跡」と呼ばれたアトランタオリンピックでの日本対ブラジルの試合でヂーダとアウダイールが交錯してこぼれたボールを後ろから走り込んできた伊東がゴールに流し込んだシーンだった。
 中田監督就任以降の名古屋はここ数年記憶にないほどの低調な試合内容で低空飛行を続けていた。「ネルシーニョのサッカーをベースとしてそこに肉付けする」との言葉とは裏腹にピッチで繰り広げられるサッカーはどの試合も極めて消極的でつまらないものだった。人数を掛けて守りを固めタテ一本の放り込みから相手が決定的なミスを犯すのをひたすら待つ――広島のDFがオウンゴールを犯してくれなければ名古屋はJ1残留も危うかっただろう――そんなサッカー。そもそも中盤を放棄してクライトンを前線に上げることにどこに「ネルシーニョのベース」があるのか。リードを許す展開で試合終盤にも関わらず「もう1点取られたら試合が決まってしまうので」とあえて現状に甘んじる(天からツキが降ってくるのを待つ)スタイルでは結果以上に客足が遠のくのも当然の成り行きだっただろう。
 名古屋と千葉の間のチーム力そして選手の質に日本とブラジルほどの差を認めてゲームプランを立てなければならないほどであったかどうかは知らないが、名古屋はチームとしての自信もそして実際の試合でのパフォーマンスも失っていたが、それはそのようなゲームプランを採用していく中でさらに拍車がかかって行くようにも見えた。

 終わってみればギリギリJ1に踏みとどまる14位。どこかの段階で「残り試合全敗」を予言した俺の予想を少しだけ覆し、首位G大阪に勝ち17位東京Vと引き分けた。だが残りは全敗。仮に入れ替え戦に進んでいたら間違いなく甲府には勝てなかっただろう。
 そんな最後の何試合かは(いつかも書いたが)「早く終わって欲しい」ものであった反面、それは上昇志向を持った選手達にとっては二度と訪れることのない(立ち帰ることの出来ない)貴重な時間だった。それが彼等にとって少しでもプラスに作用していることを祈るしかないシーズンの終了だった。
[PR]
by tknr0326g8 | 2006-01-04 02:43 | Topics & Issues