Grampus Diary from TOKYO
by tknr0326g8
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
カテゴリ
最新の記事
以前の記事
PlayBACK#1 ズデンコからネルシーニョへ
 シーズンオフ企画「プレイバック」第1回目は、ズデンコからネルシーニョへの流れ。前にここで中村のボランチ起用を提案した時、「elephant stoned」のmijacさんから、ズデンコの時のボランチとはどう違うのか?という疑問を頂いて、そのままになっていたのもあるのでそれに関する俺なりの返答も含めて書きます。

■守備のための守備
 ズデンコのやり方は、簡単に言えば相手にスペースと自由を与えないサッカー。それは守備のための守備だった。ボランチやサイド、状況(対戦相手)に応じてトップ下やFWまでもが参加し相手プレーヤーに対して忠実なチェック&チェースを繰り返すが決して無理はしない。ボックスの周りでいくら相手にボールを持たれても、最後は真ん中で跳ね返せばOK。そんな「最後の砦」には、人に強い二人のストッパーとカバーリングに長けた一人のリベロ、そしてハイボールに強い日本代表GKが文字通り待ち構える。そしてここが相手から自分達にボールの所有権が移るポイント。
 このやり方によってある程度失点を減らすことは出来たが、逆に最終ライン(GK)でマイボールになっても、そこから全体を押し上げて攻撃に移れることは稀だった。中盤でボールをつないでいくわけでもなく、大抵は最終ラインから前に残ったウェズレイに向って長いボールが一本。恐らくズデンコはそこでウェズレイがボールをキープし、その間に全体が押し上げてそこから展開していくスタイルを意図していたのだろうが、実際のピッチ上でウェズレイに向って蹴られるロングボールに込められたメッセージは「行ってらっしゃい」だった。バランスの悪い「守」から「攻」への切り替えは、守備的なチームでセット販売されるべきカウンターすらままならず、前線で孤立したウェズレイは二人掛かり三人掛かりのマークに潰された。その頃からだ、ウェズレイが相手DFとの競り合いの中でよく転ぶようになったのは。

■「戦術はパナディッチ?」
 逆の見方をすれば、一方でズデンコはチームに「規律」を植え付けることに成功していた。しかしこの「規律の浸透」をもって「組織が機能していた」と言うのはちょっと違うような気が俺はしている。なぜなら、俺はあの守備のやり方が最終的にはパナの「個の力」でもっていたと思っているから。シーズン中も何回か書いたけどパナディッチのリベロ(スイーパー)としての能力は名古屋はもちろんJのレベルでも群を抜いていた。危険な場所(スペース)を未然に察知し、確実に先回りするカバーリングとシュートコースのブロック。それは日本代表クラスのDFをひとり連れてきた所で補えるものでは到底なかった。そしてそんなパナによって、相手に崩された名古屋の守備(ズデンコ)は何度も救われた。それは、ひょっとしてズデンコがパナのカバーリングから逆算して鉄壁の守備を築いていたのではないかとすら思えるほどだった。

■心理的なマネージメントのまずさ
 そしてズデンコを語る上で欠かせない要素として、彼はお世辞にも選手のココロを掴みそしてコントロールするのが上手いとは言えなかったと俺は思っている。一つ例を挙げると、開幕前には「優勝候補」に挙げられつつもクラブ史上最低順位に沈んだ一年目(2002年)の2ndステージ、当時日の出の勢いにあった京都との対戦。試合はシーズン終盤でチームは既に4連敗を含む低迷に喘いでいた。それでも前節ホーム瑞穂で仙台に快勝(3-1)して迎えた試合。その試合でズデンコは相手の3トップ気味の布陣に合わせてシステムを4バックに変更した。4バックと言っても、3人のストッパーの後ろに1人のリベロを置いたサッカーの古典の教科書に出てきそうな布陣。試合は逆転負け。試合後ズデンコは選手達の「自信のなさ」「(選手の)自分自身に対する自己評価の低さ」が敗戦の要因のひとつであると指摘した。そりゃそうだろう。前節久しぶりに快勝してメンタル的にも少し上向きかけたところで、また次の試合に向けてやり方変えてたんじゃ、選手達に自信を持てと言う方が無理。破壊力があり前線にタレントを揃えた当時の京都の3トップに対して、自信を持てずに怖がっていたのは…そして自分(のチームの選手)を評価(信頼)していなかったのは、ズデンコ自身ではなかったか。「ピッチ上の選手は監督を映す鏡」、ピッチ上で自信を失ってプレーしている選手達の姿がすなわち自分自身だということに「知将」ベルデニックが気付くことはなかった。
 もしも俺がフロントだったら、この発言もあったし、一年やってきて要望通りのハイレベルな外国人を補強して臨んだ2ndステージにクラブ史上最低順位という成績になった時点でズデンコは解雇していたかもしれない。しかしフロントは我慢した。これまでと同じ轍は踏むないと思ったのかもしれない。そしてこれが功を奏し、中村、吉村をはじめとする何人かの選手が翌年大きな伸びを見せた。これは間違いなくフロントとズデンコの功績。

■ズデンコの求めたボランチ像
 ズデンコ政権が二年目に入る時チームに大きな変化が起こった。それまでチームの主軸としてプレーしてきた山口素が戦力外になったのだ。クラブとして「若返り」の意図もあったが、山口素の戦力外を決めたのはズデンコだったと言われている。ズデンコはその思い描く戦術上、守備では動き回れて中盤で確実に人を捕まえられ、そして攻撃に移った時には前線まで駆け上がれるような機動力ある選手を求めていた。
 逆に山口素にとっても、攻撃時にボールが自分の頭の上を通過していく状況には自らのスタイルとの間で違和感を感じていたはずだ。これでは自分の良さは出せないと。チームのために我慢してプレーしてくれていたが、シーズン終盤にはその口からはしばしば戦術に対する不満も漏れ始めていた。
 そんな「パラダイムの転換」とも言える中ボランチに台頭してきたのが「ムラムラコンビ」だ。これが当たった。吉村は大卒二年目。1対1の対応に課題を残すものの、フィジカルに秀でたプレーヤー。中村は前年までトップ下でプレーしていたが、ズデンコの構想ではアタッカーに「キープ力」が重視されたため、シーズン前に広島から獲得された藤本トップ下に定着するとポジションをひとつ下げることになった。二人は守備では忠実なチェックとチェース、スペースのカバーを行いながら、攻撃では時にリスクを冒し前線に飛び出すといったズデンコのイメージを具現化しようとしていた。そして二人の成長はチーム力自体も少し上に伸ばした。ちなみに、中村は当初右サイドでプレーするプランもあったから、ひょっとしたらこのボランチコンビは偶然の産物かもしれない。そしてひとつ付け加えれば、過度の運動量を強いられたボランチコンビ(特に中村)は2ndステージが始まる夏頃にはコンディションを崩して、ほとんど使い物にならなかった。

■「勝ち点1」の限界
 しかし最終ラインでボールを跳ね返すことから逆算した戦術は、攻撃への移行への問題を解消し切れず、チームは「負けずとも勝ち切れない」引き分けを積み重ねていく。勝利チームの勝ち点が「3」で引き分けチームのそれが「1」である現代サッカーにおいて、そして優勝を狙うことが使命とされるチームにとって、これは致命的とも言えた。勝ち点の伸びと同様、チーム自体の成長にも再び停滞の兆しが見え始めると、ズデンコは1stステージ限りで解任された。最終戦の後選手に胴上げされたのがせめてもの救いだった。よく「積み上げ」とか「連続性」とか言われるが、ズデンコの教えを土台に更なるステップアップが出来るかどうかは、胴上げをした選手たち自身にかかっている。

■攻撃的オプション「3-3-3-1」の真実
 二年目を迎えるに当たってズデンコがシーズン前から構想を温め「攻撃的なオプション」として注目された3-3-3-1。しかし、ズデンコが1stステージ限りで解任されたこともあり、これはほとんど日の目を見ないまま幻となった。そして「アルゼンチン代表をモデルにしている」という発言もあり、世の中的にはこれが「攻撃的なオプションだった」というのが定説になっている。しかし俺はこれが決して攻撃的なオプションだったとは当時思えなかったし、今も思っていない。なぜなら、その3-3-3-1の考え方の根源あったのは「(守備時において)効率的にスペースを埋められる」というコンセプトだったからだ。これは当時、Jskysportsの「Football anti-climax」の中でズデンコ本人が語っていたことだが、3バックには「両サイドのスペース」という欠点が存在し、4バックにはリベロがいない分DFラインの「裏のスペース」という欠点が存在する。だからそれを補うために、3バックの前にダブルボランチではなく3人の選手を並べ、その両サイドの選手がサイドのスペースを消すのだと。そして薄くなる真ん中は中盤の人数を増やすことで対応する。つまり3-3-3-1は、「自由に使われると危険なスペースを選手の配置によってあらかじめ消す」ことを念頭に考えられたフォーメンションなのだ。
 俺の記憶が確かなら、一度だけ明らかに試合開始からこの3-3-3-1のフォーメーションを試した試合がある。それが2003年4月26日 1stステージ第5節・柏戦だ。しかし、結果こそ1-1の引き分けだったが、このシステムが機能したとは言い難かった。そもそもズデンコの考える3-3-3-1は、トヨタカップを制したファンハール時代のアヤックスの3-4-3のように、ピッチ全体により均等に選手が散らばってスペースを網羅するシステムだ。しかし逆に言えば、これはピッチの至る所で1対1が発生するということにもなり、守備でも攻撃でも「個の強さ」がないと成り立たない。名古屋の選手はこの試合、各場面の1対1で負けまくった。そして試合は必然的に劣勢になった。これが名古屋版3-3-3-1の現実。

■ネルシーニョ政権へ
 ズデンコの解任を受け、チームにやって来たのがかつて黄金時代のヴェルディを率い、当時日本代表監督候補にもなったネルシーニョだった。ネルシーニョに課せられた課題は、「攻撃」「得点」そして「勝ち点3」。だからネルシーニョのゲームプラン(守備)は攻撃からの逆算だ。コンセプトは「より高い位置でボールを奪ってからの速攻」。そして「守→攻」と「攻→守」の切り替えにおける適切なポジショニング。
 そしてズデンコが選手のメンタル面のマネージメントに決して長けていたわけではなかったのとは対照的に、ネルシーニョは以前からこの部分には定評があった。名古屋でもその一端がさっそく披露される。来日してすぐの2ndステージ開幕となる鹿島戦。怪我人の事情もあったが、ズデンコ時代には全く出場機会のなかったヨンデをいきなり先発起用。試合後「練習を見ていて、彼(ヨンデ)にはチャンスを与えなければいけないと思った。」というようなことをマスコミの前でコメントした。これはサブやサテライトを含めたチーム全員のモチベーションアップを意図したものだろう。

■ネルシーニョが求めるボランチ像
 ネルシーニョのサッカーのコンセプトが「高い位置でボールを奪ってからの速攻」である以上、彼のチームにおけるボランチには、相手から「ボールを奪うこと」とそのボールを「前線まで運ぶこと」が要求される。そして「速攻」が叶わなければ、ボランチを中心として中盤でボールを回してゲームを組み立てなければならない。実際かなりの運動量は要求されるが、攻撃面で求められる要素を考えると、もしも山口素がまだ名古屋にいたら結構重宝されて今もレギュラーポジションをキープしていたような気がしないでもない。ブラジル人ってあんまり年齢を気にしないし、確か昔名古屋にいたバウドも去年40歳ぐらいで現役やってたっていう話聞いたし。今年はどうか知らないけど。
 ネルシーニョが就任した当初のイケイケ ドンドンな頃と比べると、1年が経過した今年は、チームが全体的に引き気味に網を張って、中盤でボール奪って(引っ掛けて)速攻という形が多くなった。上手く機能している時は追い込んでインターセプトしたり、囲んでボールも奪える。しかしカウンターとかで一旦後手に回ると、1対1で無理にボールを奪いに行ったり振り切られそうなのを手で止めてファールを取られる場面も目立った。これを解決するためにも、チームとしてはもっと攻守の切り替えを早くしていいポジションを取らなければいけないし、ボランチにも「人への強さ」と「前線へボールを供給(運ぶ)」という両面で更なるレベルアップが必要。今ネルシーニョがボランチの補強(阿部/市原)をフロントに要請していることからもそれは明らかだ。
 シーズン中から指摘してきたけど、今の「運び屋」クライトン(なんとなくいい響き…見た目にもピッタリだし。(笑)) と「潰し屋」吉村のコンビはいい組み合わせのように見えて、実は結構バランスが悪い。コンビネーションを深めることと合わせて、今こそが「生え抜き」の意地の見せ所ですよ!吉村さん。「ボランチに阿部(補強)なんか要りません」というプレーを見せて下さい。
[PR]
by tknr0326g8 | 2004-12-21 19:42 | PlayBACK
<< PlayBACK#2 ベンゲル... 泰成移籍...orz >>