Grampus Diary from TOKYO
by tknr0326g8
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PlayBack#4 クラブ史上最長監督ネルシーニョの2年1ヶ月
■クラブ史 第3期
 名古屋というクラブの歴史を監督単位で区切るとすれば、こんな感じ↓に分けられる。
・第1期:平木~ミルン
・第2期:ベンゲル~田中(サンチェス)
・第3期:ジョアン・カルロス~ネルシーニョ

 <第1期>は言わずと知れた低迷時代。その頃の名古屋は今やすっかり引き離されてしまった感のあるガンバや浦和とともに「Jのお荷物」と呼ばれていた。そしてそんなどん底状態だった名古屋に「救世主」ベンゲルが降臨、チームとしての<第2期>がスタートする。ベンゲルのもとチームは急速な進歩を見せ優勝争いに名を連ねるようなチームへと変貌を遂げた。やっとクラブとしての進むべき道筋が見えてきた名古屋は藁にもすがるような思いでその路線を踏襲、ベンゲルがアーセナルに去った後はそのベンゲルの推薦でカルロス・ケイロス(現マンチェスターU)を、さらにそのケイロスがいなくなるとベンゲル、ケイロスのもとでコーチを務めていた田中孝司を監督に据えてチームを伸ばしていこうとした。
 この第2期に養った(ある意味では「余計」な)自信を糧に、クラブとして本気で優勝を目指して(優勝を至上命題として)戦ってきたのが名古屋における<第3期>だ。クラブは優勝という明確な目標達成に向け毎年のように大型補強を行って戦力の拡充を図る一方、そのための監督選考を行ってきた。ジョアン・カルロス、ズデンコ・ベルデニック、ネルシーニョと名前だけ並べれば、南米(ブラジル)→欧州(東欧/スロベニア)→南米(ブラジル)と全く一貫性がなくその場凌ぎの監督選びを行ってきたようにも感じられるが、よーく眺めているとそこにはひとつの共通点があることに気付く――それは「Jリーグで実績のある監督」というキーワードだ。
 日本(Jリーグ)をよく知り、かつそこで結果を残してきた監督を起用することが優勝への近道だとクラブは考えた。これに関して言えばあながち間違った判断とは言えないと思う。2003年以降はTDに上田滋夢を迎えたが、それ以前のフロントは完全な(サッカーに関する)素人集団で、そんな彼等が下手に主観を入れたりせず「Jで実績のある監督」を選んできたことは、(結果はともかく)それはそれで目標に対して真摯に考えた方向性であると俺は思う。少なくともそれは、(ベンゲルを除けば)ミルン、ケイロス、サンチェスと外国人監督の選考に失敗し続けてきたクラブにとって、ギャンブル性を排したより確実な選択(のはず)だった。

 そんな第3期がまさしく今終焉を迎えようとしている。ネルシーニョは言ってみれば第3期の「Jで実績のある監督のもと優勝を命題として戦う」シリーズ三部作で、第一部:ジョアン・カルロス、第二部:ズデンコ・ベルデニックに続く第三部(完結編)だったわけだ。

 それが名古屋というクラブの歴史における俺なりのネルシーニョの位置付け。

■攻撃サッカーの名のもとに
 2003年8月、1stステージ限りで更迭されたズデンコに代わる新監督としてサン・カエターノ(ブラジル)に多額の違約金を払ってまで招聘されたのがネルシーニョだった。クラブがこの第3期においてあくまで「優勝」を命題として戦っている以上、ズデンコはそれにそぐわない監督だった。少なくともその年の初めにTDに就任した上田滋夢はそう判断した。勝利チームに勝ち点「3」が与えられる現代サッカーにおいて、優勝を狙う上で必要なのは勝利であり、勝利を得るために必要なことは失点を与えないことより得点を奪うことという考え方は順当だ。
 そういった背景も踏まえネルシーニョが最初に行ったことは、例えるならば後輪駆動型のサッカーから前輪駆動型のサッカーへの転換だった。ズデンコ時代の名古屋が守備に重心を置くあまり守から攻への切り換えに難があると判断したネルシーニョは、それまでの自陣に引き篭もって守っるスタイルから、前からボールを奪いに行くアグレッシブなスタイルへの転換を図った。前からプレッシャーを掛けてボールを奪いに行き、奪ったボールは素早く強力な2トップに預ける。そしてそこでボールが落ち着く間にトップ下(岡山)、両サイド(海本弟)、ボランチが前足に重心の乗った勢いそのままに津波のような攻め上がりを見せる。その光景はズデンコ時代には決して見られることのなかったスタイルであり、確かな勢いを感じさせるものだった。
 そしてそのスタイルはシーズン半ばにはチームが優勝争いを演じるまでにその完成度と選手の中での確信を高めて行き、怒涛のような攻撃で前半だけで4得点を奪った第8節の東京V戦、浦和初優勝の夢を砕いた第14節でひとつの集大成を迎えるに至る。特に浦和戦はその完成形と呼ぶにふさわしい試合で、ネルシーニョが就任当初何をしようとしていたかを知りたければこの試合を観ればいいだろう。

■リアクションスタイルからの脱皮
 チームとしてアグレッシブなスタイルへの転換に成功し、シーズン中盤には優勝争いに加わったものの、ネルシーニョにとって名古屋初采配となった2003年2ndステージは最終的には定位置(中位)でのフィニッシュとなった。
 シーズン途中で元ヴェルディの石塚啓二を獲得しなければならなかったことや、まさしく勝負どころだった第10節の神戸戦で当時ルーキーだった深津を先発起用せざるを得なかったり、またその試合で楢﨑の代わりに出場した本田が試合を決定付けるミスを犯したことなどを見ても分かる通り、失速の原因は選手層の薄さだとネルシーニョは考えた。そしてシーズンオフには名古屋と言えども過去に例のないような大型補強が行われる――代表経験のある秋田、岩本、大野に、ユース代表としてワールドユースのピッチに立ったばかりの角田、川島を加えた陣容は他チームと比べても決して見劣りしないものだった。ここでさらにダメ押しとも言える新井場の獲得に成功しなかったことが、後々考えれば大きかったと言わざるを得ないが・・・。

 それなりに拡充した陣容とシーズン前のキャンプからという準備期間を得たネルシーニョは次なるステップへと打って出る。ネルシーニョ就任以降半年で確かにチームとしてはズデンコ時代よりは攻撃的な姿勢が打ち出せるようになったが、それはまだネルシーニョが求めるスタイルの序章に過ぎず、さらに言うならベンゲル時代のようなリアクションスタイルでしかなかった。ネルシーニョはもっと中盤でボールをキープしてゲームを作りコントロールすることを意図していた。これはすなわちJ最強と謳われた外国人2トップを支える中盤を作り上げる作業だ。
 しかしシーズンが始まると、トップ下には急速な成長を遂げた中村が頭角を現して来たが、ボランチがなかなか定まらない。開幕以来本職のヨンデや吉村、山口Kの他、DFの大森や角田、攻撃的な中盤のプレーヤーである大野などが試されたが怪我などもありどれも定着しなかった。そしてネルシーニョは2ndステージを迎えるに当たり、苦肉の策としてDFのパナディッチを切り、ボランチにブラジルの名門サントスからクライトンを獲得する。これはネルシーニョ自身が志向するサッカーの完成に向けた肝でありまさしくラストピースだった。

■積み上げなきチーム
 ラストピースとして中盤にクライトンを獲得し、マルケスがその年Jリーグ年間ベストイレブンに選出される獅子奮迅の活躍を見せたものの、長年名古屋の最前線で身体を張り続けたウェズレイが怪我でコンディションを崩すとその調子に比例するかのようにチームは失速し、名古屋は2004年も結局目標である優勝には手が届かないままシーズンを終えた。
 だが1ステージ制となる2005年を迎えるにあたり、それまで一年半に渡って、その間に弱点と思われるポジションに補強などを行いながら指揮を取ってきたネルシーニョには確かな手応え(勝算)があったはずだ。当初は二人だけでサッカーをする傾向のあったウェズレイ、マルケスの2トップに、トップ下の中村そして右サイドの海本幸治郎が絡むコンビネーションは熟成の時を迎えつつあったし、中盤を仕切るクライトンもチームメートの特徴を掴みながらチームに馴染みんで来ていた。2004年に新井場が獲れていれば・・・というのはこの部分なのだが、この状況は俺にとっても2005年を「少なくとも優勝争い」と楽観視出来るようなものだった。

 しかし実りを収穫するはずの2005年、事態はシーズン前から予想外の方向へと動き出す。ネルシーニョのもと日本人では最重要なプレーヤーのひとりだった海本幸治郎が兄を追って新潟へと移籍してしまったのだ。さらにキャンプではDFのキープレーヤー大森の怪我による長期離脱が判明。開幕後も、名古屋のシンボルと言っても過言ではないウェズレイがリーグ戦1試合に出たのみで退団。さらには6月限りでマルケスまでもがチームを去ることになってしまった。クラブは彼等の代わりに、ヨンハッやルイゾン、藤田、中山といった最大限の補強をしたが、揃いも揃ってそれもキープレーヤーとも呼ぶべき選手達がいなくなってしまっては収穫どころではない。一人の監督に長く続けさせることのメリットは戦術の浸透やある程度メンバーを固定して戦うことによるコンビネーションの深化でチームが熟成させれていくことにあるが――これがあまりに長く続きすぎるとマンネリやそれに伴うチームとしての硬直化を招く恐れもあるが――チームは熟成を前にして新たな苗木に植え替える作業を行わざるを得なかったわけだ。

 新しいメンバーで新たに動き出したチームが収穫を迎えるのは来年かそれ以降の話でしかない。

■第4期のはじまり
 ルイゾンや藤田が完全に馴染む間もなくチームが優勝争いから脱落すると、シーズン終了を待たずしてネルシーニョは更迭された。最初にも書いたが、クラブにとってのこの第3期が「優勝」を掲げて戦うものであったことを考えればこれは必然的な結末だった。

 そしてチームは新たな<第4期>へと突入する。
 ここ数年も実は名古屋はセカンドチームを作ることで大命題の「優勝」とともに「育成」という二兎を追う政策を採っていたが、今後はより育成へとシフトした方向性を示していくことになるだろう。TDは、このシーズンオフは恒例の補強を控え伸びてきている若手を我慢して使っていくことを示唆しているし、ユースにも各年代の代表に名を連ねる(またそこで中心選手としてプレーする)プレーヤー達が育ってきている。
 第4期最初の監督となるフェルホーセンはチームを立て直せるのか。そして我慢が実を結び今の若い力が順調に伸びてくることが出来るのか。名古屋にとって第Ⅳ期はひょっとしたら冬の時代かもしれないが、願わくばそこで蒔いた種が<第5期>に黄金時代となって花開くことを期待したい。

 ※2005年の振り返りはそれはそれでまたやります。
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by tknr0326g8 | 2005-12-18 05:17 | PlayBACK
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