もし俺が「優」・「良」・「可」・「不可」でフェルフォーセンの二年間に評価を下すとするならば、残念ながらそれは「不可」ということになるだろう。フェルフォーセンの就任に合わせてクラブが描いていた「三ヵ年計画」(一年目でチームの基盤を作り、二年目で上位争い、三年目で優勝争い)という具体的な数値目標に対して、フェルフォーセンは二年目の昨シーズンも残留がやっとという成績しか残せなかったのだから、この評価は妥当だと思う。もちろんチームの主力たる外国人選手に怪我人が続出したことなど同情すべき点はあるし、同じような目標に対して順調にステップをクリアしていった長谷川健太と比べれば即戦力の戦力補強に恵まれなかったことなど、チームの成績はフェルフォーセンひとりの責任ではないが、それは彼の評価を覆す材料とは成り得ない。そしてそんな成績とともに俺が彼に合格点を与えられない理由は、彼が選手達の特徴を引き出せていなかったからであり、(それが彼の意図したスタイルであったかは別として)ピッチ上で展開されていたアッタキングマインドに欠けるサッカーが(ズデンコの時ほどではないにせよ)俺にとってとても退屈で魅力に欠けるものだったからだ。
ただ「不可」と言ったところで、俺はフェルフォーセンがサッカーに対して持っているビジョンや理論といったものが間違ったものであったとは思っていないし、ましてその人格などの面で彼を否定するつもりなどは毛頭ない。特に前者に関しては、それが世界的な潮流から見ても決して的外れなものではなかったことは、半年間限定の
つなぎとはいえ母国オランダのトップクラブであるPSVから請われて監督に就任したことが既に立証している。
ではそんなフェルフォーセンがなぜ名古屋で順調にチームを作り上げることが出来なかったのか。俺はフェルフォーセンが日本の(名古屋の)フットボーラーに対して彼の持っているものを伝える術を持ち合わせていなかったのではないかと思っている。そして物事を伝える前提として「相手を理解する」という部分において、フェルフォーセンは二年間という期間を経てもなお日本のサッカーと自らのチームやその選手達についての把握が十分ではなく、自らの抱くフットボールに対するイメージをピッチ上で上手く具現化出来ない選手達に戸惑ったまま二年間が過ぎ去ってしまったのではないだろうか。
果たしてフェルフォーセンは(彼より半年ほど日本への滞在期間が短いベンゲルのように)日本のサッカーや日本のプレーヤーの特徴についてスラスラと語ることが出来るだろうか。ひょっとしたら俺がそういった類のインタビューなどを見かけたことがないだけで十分な知見があるのかもしれないが、ひとつ確実に言えることは、彼が日本代表監督に推されることがあったとしても、彼の口からは決して「日本のサッカーを日本化する」という言葉は出てこないだろうということだ。そしてそれは毎日接していた自らのチームの選手達に対しても当てはまる。彼は選手達の特徴をどう把握し、どのポジションで誰と組ませて起用すれば各々のプレーヤーの能力を引き出せると考えていたのだろうか。少なくとも二年間でその答えは見えなかった。
プロのコーチとして見た場合に、もうひとつ俺がフェルフォーセンに対して抱いていた不満は勝敗を決するようなツボを見極める眼に欠けていたことだ。まるで試合に向けて組み上げたプログラムの答え合わせでもするかのようだった彼は選手交代の枠を使い切らないことも多かったし、交代策自体も決して上手いとは言えなかった。選手交代によって試合展開を変え良い流れを持ってきたような記憶はほとんどないし、むしろ相手のセットプレーの直前に選手を交代して失点したり、試合に没頭するあまりか選手達のSOSに気付かずに負傷退場の交代が遅れ、むざむざ一人少ない状況で戦わせるハンディをチームに背負わせることも度々あった。
選手交代だけではない。例えば現代サッカーにおいて勝敗を決する鍵となることも多いセットプレー。バルサ時代のクライフはセットプレーのトレーニングをしなかったというが、フェルフォーセンもセットプレーにはそれほど価値を見出していなかったのだろうか。シーズン終盤に(おそらくキックが正確という理由で)プレースキッカーに指名されていた吉村を見るにつけ俺はその思いを強くしていった。俺はコーナーキックをこんなにGKに直接キャッチされるキッカーを見たことがない。しかもその手のプレーが弱点のはずの川口(磐田)や天皇杯ではアマチュアのGKにポケットキャッチされている有様なのだから話にならないと俺は思うのだが、あれもフェルフォーセンの指導なのだろうか。だとしたら狙いどころを間違っているとしか俺は思えない。
フェルフォーセンが伝えたかったフットボールは二シーズンに渡って名古屋が見せたものとは全くの別物かもしれない。だが彼が二年かけて作り上げたチームは、シーズン中に何度も気持ちを感じさせないような大敗を喫し、トレーニングマッチとは言えアマチュアや大学生にいともたやすく敗北を繰り返し、ピッチ上では得点を奪いに行く意識が希薄で攻撃に連動感がなく、最終ラインでの無意味な横パスが横行するチームだった。そしてそんなチームは全てを象徴するかのようにアマチュアチームに敗れて二年間の歴史に終止符を打った。フロントはフェルフォーセンが引退を宣言しなければあと一年任せるつもりだったと言っていたが、俺は彼に任せたところでこのチームには彼のサッカーをより深く理解することによってもたらされる上積みよりも、そうした主にメンタル面に起因した負の要素が増幅されていったような気がしてならない。
そんなフェルフォーセンの後は日本人監督にチームを任せた方が良いだろうと俺は考えていた。フェルフォーセンほどの世界レベルでの理論や人脈や経験がなくても、日本人のことを理解し、彼等の良さを引き出せるような日本人の指揮官、それが理想(というか現状の名古屋にとっては優先される事項)だと思っていた。しかしクラブが出した結論は切り札・ストイコビッチの投入だった。クラブの成績(戦績)だけでなく、豊田スタジアムで開催する浦和戦がなければほとんどジリ貧の観客動員など様々な要素を考えての結論なのだろう。
正直ピクシーの監督就任は時期尚早だと俺は思った。クラブの財産と言ってよいピクシーで失敗した時のリスクを考えると、もう少し選手そしてクラブが成熟し磐石の態勢を作ってから三顧の礼をもって迎え入れるのがいいと思ったからだ。既に選手ではないピクシーはクラブとして困り切った状態で救世主として頼るような存在ではもはやない。どうしても監督として泣きつくなら(来てくれるかどうかは別として)クラブ唯一の成功例でもあるベンゲルだろう。
ただ決まってしまったものは仕方ない。あとは「失敗は絶対に許されない」という覚悟をみんなが持ってクラブ、サポーター一丸となってピクシーをサポートするのみ。ここまでの動きを見ていると幸いクラブはそうした自覚を持っているようだ。あとは常に自覚よりも甘えが目立つ選手達がピクシーの監督経験を言い訳にしないで日々のトレーニングからゲームに取り組めるか否かにかかっている。何ひとつ成し遂げたわけでもないはずなのに不平・不満だけは一人前の名古屋の選手達のプロとしての自覚、名古屋の選手であることの誇りが問われる一年になるだろう。
というわけでこのブログでもとりあえずピクシーは全面的に応援します。それはプレーヤー時代からピクシーを見てきた立場としては当然であり、ある程度長い眼でということも含めてその評価が甘くなるのは仕方がないところ。ただ俺はピクシーの監督経験がどうだとかライセンスがどうだとか言われることに関しては(確かにピクシー自身も監督としては実際にやりながら学ぶことも多々あるだろうが)意外と不安よりは期待の方が大きい。プレーヤーとして世界トップレベルでプレーし、数々の名将の薫陶も受けてきたピクシーのサッカー観を俺は信頼しているし、フェルフォーセンが躓いたのではないかと書いた日本人選手とのコミュニケーション(選手達へのアプローチ)についても、彼のカリスマや日本人への理解、そしてクラブへの愛情がそれを助けてくれると確信している。そして彼のファイティングスピリット。今年のチームに最も欠けていた要素をピクシーは持っている。
ピクシーのやろうとしているサッカーは「4バックを採用しそうだ」ということ以外まだ伝わってこないが、彼の現役時代からの言動から察するにDFラインを下げて守るということはしないだろう。そして玉田や深井といった左利きのアタッカーを右サイドに配置する。なんとなくそんなイメージがある。なんだかここ数年の育成モードからいきなり目標は優勝だなんだとトーンの変化が著しいが、俺はいきなり結果が出るとは考えていないし、今シーズンは「スーパーハードワーク」と「攻撃的」をキーワードに、とりあえず結果よりも内容で見る側を魅了するようなサッカーをしてくれることを期待したい。